記事内にプロモーションを含む場合があります。
幼少のころから日本舞踊を習っているのが珍しいのか、必ずと言っていいほど「伝統芸能一家?」「お母さんが舞踊家なの?」と聞かれますが、答えはNOです。
きっかけは北島三郎座長公演
当時、新宿コマ劇場にて上演されていた北島三郎座長公演。両親の仲人というご縁で、物心がつく前から公演を拝見していました。
お芝居と歌謡ショーの2部構成でしたが、まだ小さかった私は母に抱っこされた状態で、美空ひばりさんとひばりさんのお母様が考案されたという完全防音のベビールームから1部のお芝居を鑑賞していました。
1部の幕が下りた休憩後からは客席で観ていたのですが、2部が始まる前、ステージでパフォーマンスされていたダンサーさんたちの艶やかな芸者姿にすっかり魅了された私。
はじめてのお願い
ママ、みみおどりならいたい!
※5歳ごろまで自分のことを”みみ”と呼んでいた
踊り?バレエのこと?
ううん、きものきておどるの。
箪笥から着物を引っ張り出してきた私に驚いた母は、すぐ父に報告しました。
こんなに小さな子が習いたいって言うんだ。ちゃんとした先生に習わせてあげたい。
そう言われても、舞踊家の知り合いなんていないし……。
困った母は、高校時代の親友へ相談することに。
義母の知り合いに、踊りに詳しい方がいるみたいだから聞いてみるね。
「踊りに詳しい方」は、六代目尾上菊五郎1のご息女・多喜子さんのことでした。
多喜子さんから「2人の先生を紹介できる」と言っていただきましたが、流派についても全く知識がなかった母。オススメを伺ってみました。
オススメは尾上流家元ね。お子さんに教えるのが上手だし、踊りに脂がのってきた。
後日、東銀座にある尾上流家元のお稽古場兼ご自宅に、母と私、多喜子さんの代理である番頭さんの3人で伺いました。
出迎えてくださった奥様は、宝塚元娘役の可憐な女性。
家元は京都まで出稽古に出かけているため不在ですが、入門に関しての判断は私に一任されています。
こんなに小さくてもお稽古できるんでしょうか?
小さければ小さいほどいいですよ。
奥様は優しく微笑み、入門を許可してくださいました。
尾上流家元に師事
家元のお稽古には、菊音先生(尾上流の生き字引)、師範であるお弟子さんのほかに、歌舞伎俳優さんや、新橋の芸者さん、新派の役者さん、テレビや映画で活躍されている女優さんなど、普段なかなか会う機会のない職業の方々がいらっしゃっていました。
尾上菊之助(六代目丑之助)さんから「英才教育ですか?」と尋ねられたとき、母は慌てて「違います」と答えたそうですが、やはり一般家庭の子どもが習いに来るのは珍しかったのでしょう。
入門したばかりのころの記憶はあったりなかったりですが、母が撮影していたビデオの映像を見ると当時の様子がよくわかります。
集中力が切れ、座って手遊びを始める2歳児に、そっと近寄り目線を合わせ、「水稀ちゃん。もう一度踊っていただけませんか」と、優しい声色で話しかけてくださった師匠。
利き手ではない左手で指を折ることさえできない私に、「右の人差し指で抑えながらやってみなさい」と二人羽織のような状態で指導してしてくださったことも。
文字通り、手取り足取り教えてくださいましたが、赤ちゃん扱いを受けたことは一度たりともありません。
当時は子どもの存在自体が珍しく、未就学児は私だけ。
お稽古が終わり、正座して「ありがとうございまちた!」とお辞儀する小さき人を、大人たちは温かい目で見守ってくれていました。
未知の世界に母はさぞ気疲れしたことと思いますが、当の本人は銀座へ降り立つと「みみのぎんざ~」とご機嫌だったらしいです。実に小生意気な幼児でした。
脚注
- 大正・昭和時代に活躍した歌舞伎の名優。「屋号/音羽屋 」「定紋/重ね扇に抱き柏」辞世の句は「まだ足りぬ 踊り踊りて あの世まで」 ↩︎